死と隣り合わせの読書
戦場の秘密図書館 ~シリアに残された希望~
マイク・トムソン 小国綾子編訳
文渓堂
シリア内戦は今世紀最大の人道危機と言われている。個人的に関心があったのでいろいろ調べたが、たとえば学校にかようにしても、街に潜伏しているスナイパーを避けるために命がけで道を渡ったりする。しかし、そうやってやっとの思いでかよった学校も空爆され、幼い命がたくさん失われたりもする。まことに不条理な情況だが、そんなところでも人々は必死に生きているのである。空爆されて自宅が崩壊し、壁のない家で暮らしている家族もいる。人間の命をなんだと思っているのかといいたいが、空爆をしている側は、罪のない一般市民ではなくあくまでもテロリスト集団を標的にしているという。だが、よく考えなくても、どっちにしても褒められた話ではない。独裁国家だけではない。アメリカ合衆国だって、誤爆で一般市民を殺したりしているのだ。けっきょくは人を殺すために空爆しているなのであり、命を尊重しているとはとうてい言いがたい情況だ。
そんなシリアの、それも空爆地区の、瓦礫だらけの廃墟の地下に、私設の図書館が開設される。いままさに空爆真っ最中の地区なので、図書館に行くだけでも命がけである。それでも人々は行く。それは、純粋に本が読みたいからだ。日本で暮らしていたら信じられない情況だろう。読書より命のほうがよほど大切だからである。しかし、シリアの人々はこれがあたりまえなのだ。
本は、廃墟で瓦礫のなかから掘り出して集めているという。もちろん、掘り出された本の所有者の許可を取っている。無断で陳列したり貸し出したりしないのである。反政府軍の兵士もやってきて借り出し、戦場で戦闘の合間に熱心に読んでいる。それどころじゃないだろうと思うのは、平和な地域に生まれ育った人々の感覚。空爆地帯は本そのものが貴重であり、読書体験は何物にも代えがたいのである。本好きの人ならその感覚は理解できるだろう。
もちろん、言論統制のためにこの図書館そのものが攻撃の対象になる。実際に空爆を受け、本がめちゃめちゃに散乱したりする。それでも、図書館のスタッフはできる限り本を救おうとする。攻撃する側も一筋縄ではいかない。図書館を攻撃して図書を奪い、路上で売ったりしている。そこまでカネがほしいのか。人の命と引き換えに。
命の危険を冒しても本を求めるというのは、どういうことだろう? それだけ、本は命を賭しても価値のある者だと認識されているからだ。知識は、正しい知識は人々を解放する。物理的な暴力からは逃れられないが、心の自由は獲得できる。そこが最も重要なことなのだ。生命の危険を回避することよりも心の自由を獲得することの方が優先されているのである。ここまで命がけで本を読みたいと思う。そうすれば、本は一冊一冊が宝物のようになるだろう。
もちろん、著者は手放しでこの情況を賞賛しているのではない。現地に赴くことができないので、著者は自分の国からインターネットで取材しているようだ。図書館のスタッフたちへの気遣いは尋常のものではない。まるでわがことのように彼らを気遣っている。
私たちはふだん、あたりまえのように気楽に本を買い、本を借り、気楽に読んで、気楽に売ったり棄てたり返したりしている。だが、シリアの人々にとっては、本は命より大切なものなのだ。みずからの読書姿勢を正したくなる。