2. 「オチ」は「落ち」ではない
必ずしも絶対条件ではないにしても、ショートショートの最大の魅力のひとつが効果的なオチであることは間違いありません。
しかし、「コント」ではなく、あくまでも「小説」としての効果を上げるためには、これを安易に考えるべきではありません。でないと、場合によっては「コント」どころか、単なる「ギャグ」に堕してしまうこともあります。
まあ、単なるギャグでも、めちゃくちゃ面白いのなら文句はないのですが。
私個人としては、「オチ」は「落ち」ではなく、「上げ」であるのが理想であると思っています。つまり、単にギャグとして話を「落とし」てしまうのではなく、ラストでストーリーが一気に広がりをみせるような、読んでいて目の前がパッと開けるような発展性が望ましい、ということです。
「余韻」と言い換えてもいいでしょうか。
前回の例で考えてみましょう。
A夫「隣の家に塀ができたんだってね」
B男「へえ~」
「へえ~」がオチなわけですが、これがラストでストーリーに発展性を付与するためには、逆にストーリーそのものがこのオチを発展性のあるものたらしめる必要があります。つまり、B男がラストで「へえ~」と言うことが異様となりうるだけのシチュエーションが必要ということです。
たとえば、A夫がB男にさんざん話しかけているのに、B男がA夫のオウム返ししかしないというストーリーにしてみましょう。そんなことが延々と続いたあげく、最後に思いっきりくだらないネタをかましてやれと思って、A夫が「隣の家に塀ができたんだってね」と言い、それに対して、それまでオウム返ししかしなかったB男が「へえ~」と応えたとする。意外な返答に、A夫は目を剥く。
しかし、このラストで目を剥くのはA夫だけであり、読者は決して目を剥きません。これだけでは何が何やらワケがわかりませんし、第一おもしろくない。そこで、最後の最後に次の一文を付け加える。
A夫はクチバシで翼を整えるB男の鮮やかな黄色の頭を呆然と見つめた。
そう、つまり、さんざんオウム返しをしていたB男は、本当にオウムだったというわけです。
あまりいい例ではないかもしれませんし、A夫がさんざんB男に話しかけてうんざりするという状況の理由づけも必要になりますが、少なくとも「へえ~」という駄洒落で終わってしまう話よりは、よほどストーリーの広がりがあるのではないでしょうか。また、最後の最後にオウム返しをしなかったB男のその後を描かずに謎のままにしておくことで、読者に余韻を感じさせることもできるでしょう。
では次に、「オチ」を「へえ~」から「ほお~」に換えてみることにしましょう。
この場合は、B男がA夫に対していつもベタな駄洒落しか言わなかったのが、最後の最後に意外なことを言って肩すかしを食らわせるという展開にするといいでしょう。もちろん、読者にも肩すかしを食らわせるためにはもっとプラスアルファが必要ですが、いちおうの意外性は実現するにちがいありません。
ちなみに私がこれをなんとかショートショートにするとしたら、B男をいわゆる「人工無能」のような、コンピューターの対話ソフトであるという設定にするかもしれません。A夫はそれに対して懸命に言葉を教えているのですが、高度な学習機能にもかかわらず、B男は駄洒落でもって返答することからちっとも進歩しない。A夫がへとへとに疲れ、半ば投げやりで口にした言葉に対して、B男ははじめて駄洒落ではない言葉、つまり「ほお~」を発する。
こうしたオチにすることによって、いくつかの発展性を作品に付与できるのではないでしょうか。第一に、それまでB男がさんざん繰り返してきた駄洒落が非常に面白いものだとしたら、この「ほお~」は逆に、非常に情けない、どうにも笑えないものになるでしょう。その落差の大きさで読者を感心させることができるかもしれません。第二に、B男のこの反応に対してA夫が狂喜乱舞すれば、ギャグの情けなさとA夫の喜びようのコントラストが効果的なラストになるでしょう。第三に、もしもB男が本来は「ほお~」と返答することができる能力を持っていないとすれば、これは大きな謎のまま残ることになり、読者を「どうしてなんだよお!」と思わせるという効果を生み出すことができるかもしれません。つまり、余韻の一種ですね。
もちろん、これだけのことをするにはかなりの努力が必要でしょう。たった数枚の作品であったとしても、数日、場合によっては数週間もウンウンと悩み続けるかもしれません。しかし、ショートショートというものは、本来それだけの努力が必要なものなのです。単なる思いつきだけで書いてしまったら、ほとんどの場合、それはショートショートではなくてただの「ギャグ」です。
つまんない例で説明してきたのでいまいちピンと来なかった人がいるかもしれませんが、つまりオチは単に人を笑わせるためのギャグではなく、大きな意外性を持ったものであるべきであり、さらに余韻や発展性を感じさせるものが理想である、ということです。この感覚をつかむためには、やはりたくさん名作を読むしかないでしょう。それも、ショートショートだけではなく短編や長編の名作もどんどん読む必要があります。そして、実作でセンスを磨いていく。
というわけで、次回は意外性と発展性のあるオチを成立させるための、「意外なシチュエーション」について説明いたします。