1.ショートショートとは何か?
ショートショートはその短さもさることながら、形式上のシンプルさのため誰でも簡単に書けそうに思えるのか、若い世代を中心に作家志望の人が多く挑戦しているようです。しかし、考えようによっては、実はこれほど難しいジャンルもなかなかないのかもしれません。
ショートショートがわりと気軽に創作される背景には、ちょっとしたストーリーに気の利いたオチをつければいいという誤解があるからではないかと私は考えています。確かに、ショートショートの始祖、星新一の作品の大部分はそうした形式になっています。極端なことを言えば、ショートショート=オチと思いこんでいる人が多いのではないでしょうか。しかし、これははっきり言って誤解です。
ショートショート=オチという誤解は、ショートショートをいわゆる「コント」と同じようなものと捉えるために生じるものでしょう。その短さとラストのオチを考えれば確かに似ている部分もありますし、「コント」としか言いようのないショートショートも実際にたくさんあります。それも、傑作が。
しかし、その本質において、この二つは決して同じものではありません。コントはあくまでもコント、しかし、小説はあくまでも「小説」です。
例えば、次のようなコントを考えてみてください。
A夫「隣の家に塀ができたんだってね」
B男「へえ~」
思いっきりつまんない例ですんません。が、とりあえずこれを「コント」と見るとして、では、「ショートショート」としても成立しうるでしょうか。
このネタをショートショートにするに当たって誰でも考えるのは、おそらく、状況と場所と登場人物の設定が必要になるだろう、ということです。それがなければ「小説」にはなりません。そして、いちおうストーリーを考える。このたった2行の会話の前にも、いろいろと会話をくっつけてみる。最後に、「へえ~」をオチとしてラストに持ってくる。
これで、ショートショートになると思いますか?
人それぞれの考え方にもよりますが、私自身はそうは思いません。それは何も、オチがつまらないからというわけではありません。オチが「へえ~」のままでも、十分に面白いショートショートになる可能性はあります。結論から言えば、問題は、どうしてもこのオチでなければならないという「必然性」があるかどうか、ということなのです。
その「必然性」によっては、状況や場所や登場人物の設定が逆に邪魔になってしまうこともあります。不要であるどころか、逆効果になることもあります。
もちろん、コントには「必然性」は必要ではなく、そのためにコントはショートショートよりも低俗なものであるといっているのではありませんので誤解のなきよう。この「必然性」は、「小説」として作品が成立しうるための「必然性」という限定的な意味のものであり、コントにはコントの「必然性」が求められるでしょう。ついでにいえば、その小説の存在そのものの「必然性」ということでもありません。
では、「小説」としての「必然性」はどうしたら実現するのか? 次回からはそれを、ショートショートの要件をひとつひとつ取り上げながら見ていくことにしましょう。